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自分用の逸話置き場みたいなものです。
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    大雨の為秀吉の陣羽織が濡れて着用に耐えなくなっていたので、嘉明が日没後ひそかにこれを火を焚いて乾かしていたところ、たまたま秀吉がこれを見つけた。秀吉は「夜中に火を焚いて何とするか」と尋ねたところ、彼は「明日の出陣に備えて間に合うように戦袍を干しております。」と答えたので秀吉はその細心さに感じ、「この男は後日大事を成すであろう」と言ったという。
    (出典不明)
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    三木城攻めにおいて

    秀吉の郎党たる公(嘉明)は大雄不敵の若者にて身軽く早業に達しけり。公攻め口を見れば大の男一人城塀に取り付き居たり。公つかつかと走り寄り「御免候へ一番乗り仕らん」と言うより早く彼の男の肩に手を掛け、鎧の上を踏まえて?じ塀上へひらりと跳び上り、「我は加藤孫六なり」と名乗って太刀抜きかざし守兵を切り散らす。その間、終始塀の上の働きなり。秀吉これを見て「味方討たすな、続けや者ども」と励ましければ、屈強の勇士我も我もと塀上に駆け上り将に落城に及ばんとす。城将を出して降を乞い、秀吉乃ちこれを許す。
    秀吉、公の勇武を嘆称し特に恩賞を与う/別所長治き下、長井四郎左衛門政重守る野口にて秀吉二千余名、長井三八十名 三木城攻め初期天正六年四月初め

    (細野家記録)

    加藤嘉明度量の事(関ヶ原)

    其あくる夜忍びて加藤嘉明の陣所を通る者ありとらへて忍びか火付けか切つて捨てよといふに嘉明其士は主君の為に死を顧みず吾陣所の備え怠らず彼いかにして吾を窺ふべき殺すと殺さざると勝敗に関わらずとて追はなたれけり

    (常山紀談)

    ――
    前述の寺沢廣高とセット。
    ふりがながよしあきとなってたりよしあきらとなってたり。
    加藤嘉明と鷹匠

    鷹匠某一日嘉明に向かひ、鷹の鳥に騒ぎ立ちたる所を引摺え引き戻しては放つ時は、手元にて一寸の控なれども、先にて十間の延びに成るものなりと教へければ、嘉明之を聞き、其方が鷹の使方を教へたるにて、我武士の使方を会得したりとて、大いに賞美せりとなん。

    (評)達眼。古人曰く、道は近きにありと、宣哉。
    (武人百話)

    --
    武人ですなあ。
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