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自分用の逸話置き場みたいなものです。
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    近き比、国造雅孝が記に言ふ。明星客院といへる沙門は、先の国守伊予守経久が祈祷師なりしが、両部習合を経久に勧め、多胡悉休を奉行とし、大永四年大日堂を建立し、同四月二十八日供養を遂げをはんぬ。大永七年六月十五日に三重塔成風の功をはりて、多賀新左衛門これを監す。天文六年六月九日輪蔵建立して、摂津兵庫より一切経を買下し、これを納む。目賀田与四郎これを監す。 「懐橘談」より

    桂元忠が尼子老臣である漆谷にあてた書状
    近年雲州(経久)より、中国の諸侍之御馳走などは候はで、述懐を得らるる取り扱ひ候て候つる。当時元就は各え懇を申さるる様は過分に存ぜられ候様に行はれ候。然る間、一味中毛別儀なく候。元就仕り候ごとくに、雲州に(も)させられ候はば、中国の儀は申すに及ばず、九州・天下までも御下知に随ふべきものをと候。
    //(意訳)元就は中国諸将を大切に扱ったから叛乱されなかったよ!だから経久も諸将を大事にすれば九州・天下を平らげることも簡単だって!(でも今の経久に魅力ねーから大内に降るわー。マジ無理だわー)

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    ・「経久吾に(亀井)秀綱を思ひ替え給ふことの口惜しさよ。子と臣を矛盾に及ばんに、理非の二つはともあれ、子を捨て臣に与する様やある。」陰徳太平記より興久謀叛に置いて

    ・「御兄弟たるべき由、御状に預り候、尤も本望候、然る上は、向後に於ては毎時申し談ずべく候。」享禄四年七月十日付、毛利元就宛て、尼子晴久(義兄弟の契約書と共に)
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