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    三木城攻めにおいて

    秀吉の郎党たる公(嘉明)は大雄不敵の若者にて身軽く早業に達しけり。公攻め口を見れば大の男一人城塀に取り付き居たり。公つかつかと走り寄り「御免候へ一番乗り仕らん」と言うより早く彼の男の肩に手を掛け、鎧の上を踏まえて?じ塀上へひらりと跳び上り、「我は加藤孫六なり」と名乗って太刀抜きかざし守兵を切り散らす。その間、終始塀の上の働きなり。秀吉これを見て「味方討たすな、続けや者ども」と励ましければ、屈強の勇士我も我もと塀上に駆け上り将に落城に及ばんとす。城将を出して降を乞い、秀吉乃ちこれを許す。
    秀吉、公の勇武を嘆称し特に恩賞を与う/別所長治き下、長井四郎左衛門政重守る野口にて秀吉二千余名、長井三八十名 三木城攻め初期天正六年四月初め

    (細野家記録)

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